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●画家名:藤田嗣治(レオナール・フジタ)
※プロフィールは下記をご覧下さい
●作品名:詩人(四十雀より)
●絵のサイズ:W19×H19cm
●額装サイズ:W48,2×H48,5cm
●版画の技法:オリジナルリトグラフ
※詳細
●サイン:藤田嗣治直筆鉛筆サイン
ご購入済
額装状況
藤田嗣治直筆鉛筆サイン
シルヴィ・ブイソンの証明書(表)
シルヴィ・ブイソンの証明書(裏)
額のアップ
藤田嗣治(レオナール・フジタ) プロフィール
1986年 | 東京に生まれる。 |
1910年 | 東京美術学校西洋画科を卒業する。 |
1913年 | 渡仏する。
ピカソやモディリアーニ、スーチンらと交友しつつ研鑚を重ねた。 やがて乳白色の平滑なマチエールに面相筆による線描を生かした独自の絵画の技法を編み出す。 |
1919年 | サロン・ドートンヌに入選し、会員に推挙される。 |
1921年 | サロン・ドートンヌの審査員となる。 |
1923年 | サロン・デ・チュイルリーの会員となる。 |
1929年 | 一時帰国する。 |
1930年 | 再び渡仏し、1933年までパリをはじめ中南米各地で油絵の絵画の制作活動に励む。
その後、再び帰国する。 |
1934年 | 二科会会員となり、第21回二科展でフジタの油絵の絵画が特別陳列される。 |
1937年 | 大壁画「秋田の行事」(秋田市平野政吉美術館蔵)を完成させる。 |
1939年 | 渡仏するも、翌年大戦がはじまり帰国する。 |
1941年 | 帝国芸術院会員となる。 |
1943年 | 朝日文化賞を受賞する。
戦争画の絵画も描いたが、戦後は複雑な日本画壇と離別する。 |
1949年 | アメリカ経由でフランスに渡り、定住する。 |
1955年 | フランスに帰化する。 |
1957年 | フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与される。 |
1959年 | ベルギー王立アカデミー会員となる。
カトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタと改名する。 晩年は宗教をテーマとした絵画、又独特の表情を見せる子供の油絵や版画の制作に励む。 ランスのノートル・ダーム=ド・ラ・ペ礼拝堂の設計、壁画制作に没頭する。 |
1968年 | チューリッヒで歿。 |
2007年 | パリのオークションにて君代夫人が所蔵していたフジタオリジナル版画が競売に掛けられる。 |
2009年 | 4月2日君代夫人逝去。 |
★コメント
藤田嗣治(レオナール・フジタ)がリトグラフの版画で制作したインテリアの絵画「詩人(四十雀より)」は、1963年に制作されたインテリアの絵です。
このリトグラフの版画は、藤田嗣治の最後の版画集である「四十雀」の中の一作です。
仲の良かったジャン・コクトーが執筆したエッセイに藤田嗣治のリトグラフの版画21点が添えられた版画集です。
当時のフランスの風俗がユーモラスに表現されたこの版画集は、藤田嗣治の晩年の傑作として今日でも高い評価を得ています。
藤田嗣治のサインが奧付に付された版画集とは別に、本作品のようなサイン付きが限定80部で制作されました。
ただ近年の藤田嗣治作品の異常なほどの人気の加熱と価格の高騰で、非常に贋作が増えています。
そのため、このリトグラフの版画には、藤田嗣治の公式鑑定人であるシルヴィ・ブイソン女史の作品証明書を添付しています。
なおこのインテリアの絵画は制作されてから50年以上経過していますが、シミや焼け、波打ち、色落ちなど一切ない完璧な保存状態です。
藤田嗣治のコレクターやファンの方には安心してコレクションできるインテリアの絵画です。
藤田嗣治がリトグラフの版画で制作したインテリアの絵画「詩人(四十雀より)」はご購入済みとなりました。
藤田嗣治のインテリアの絵画をご購入いただき誠にありがとうございました。