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●画家名:奥田元宋
※プロフィールは下記をご覧下さい
●作品名:霧雨の湖
●絵のサイズ:W47×H36cm
●額装サイズ:W70,5×H60,5cm
●版画の技法:リトグラフ※詳細
●サイン:奥田元宋の直筆鉛筆サインと朱落款
¥280,000-(税込価格)
●納期:7日
※備考
額装状況
奥田元宋の直筆鉛筆サインと朱落款
作品証明書
額のアップ
奥田元宋 プロフィール
1912年 | 広島県双三郡八幡村(現在の三次市吉舎町八幡)に生まれる。 |
1931年 | 日本画家・児玉希望の内弟子となる。 |
1936年 | 文部省美術展覧会鑑査展に日本画の絵画「三人の女性」が初入選する。 |
1937年 | 児玉希望画塾第1回展に日本画の絵画「舞踏場の一隅」を出品し塾賞を受賞する。
「元宋」と号する。 |
1938年 | 第2回文展に日本画の絵画『盲女と花』を出品し特選となる。 |
1949年 | 第5回日展に日本画の絵画『待月』を出品し特選と白寿賞を受賞する。 |
1956年 | 第12回日展に日本画の絵画を委嘱出品する。
日展の会員となる。 |
1958年 | 社団法人日展が発足し、会員として加わる。 |
1962年 | 第5回新日展に日本画の絵画「磐梯」を出品し、文部大臣賞を受賞する。 |
1963年 | 日本画の絵画「磐梯」が第19回日本芸術院賞を受賞する。 |
1973年 | 日本芸術院会員となる。 |
1974年 | 日展の常任理事となる。
山陽吟社の主催者・太刀掛呂山と益田愛隣に漢詩の指導を受ける。 |
1976年 | 人形作家・川井小由女と結婚する。 |
1977年 | 日展理事長に就任する。 |
1981年 | 宮中歌会始の召人に選ばれる。
真言宗大聖院の本堂天井画「龍」を制作する。 文化功労者に選ばれる。 |
1984年 | 文化勲章を受章する。 |
1989年 | 広島県名誉県民として顕彰される。 |
1990年 | 「風景画三代の系譜 玉堂・希望・元宋展」が開催される。 |
1995年 | 日本芸術院第1部(美術)の部長となる。 |
1996年 | 京都・銀閣寺(慈照寺)の庫裏・大玄関及び弄清亭障壁画を完成させる。 |
2000年 | 「米寿記念 奥田元宋・小由女二人展」が開催される。 |
2001年 | 日本画の絵画「白嶺秋耀」を制作する。
「奥田元宋集 わが胸中山水」を出版する。 |
2003年 | 2月15日逝去、享年90歳。 |
2006年 | 広島県三次市東酒屋町に奥田元宋・小由女美術館が開館する。 |
★コメント
奥田元宋さんの和の絵のリトグラフの版画「霧雨の湖」は、2000年にリリースされた和の風景画の絵画です。
奥田元宋さんの生前の作品で、静寂感漂う美しい紅葉の風景画の絵画です。
聞こえてくるのは、湖を飛び立とうとしている鳥の羽音だけです。
この和の風景画の絵画は「元宋の赤」と呼ばれた、独特の赤い色彩が特徴的です。
自然と自己の内面を照応した幽玄な山水で、精神性の濃い日本画の絵画を描き続けた奥田元宋さんならではの和の絵だと思います。
あのブリタニカ国際大百科事典では「日本の風景美の伝統を受け継いだ静かで神秘的な水墨画の絵画の世界に、多彩な色使いによる色彩美を加え、
新朦朧派と評される独自の風景画を確立した」と解説されている奥田元宋さんらしい素晴らしい和の風景画の絵画です。
制作されてから20年以上経過していますが、シミや焼け、色落ち、波うちなど一切ない完璧な保存状態です。
ちなみに、額は新品です。
奥田元宋さんの和の絵のリトグラフの版画「霧雨の湖」をぜひご自宅のインテリアやコレクションの絵としてご購入ください。
またお近くにお越しの際にはお気軽に画廊へもお立ち寄りくださいませ。