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松本零士
銀河鉄道999・時の輪の旅
額サイズ:W88cm×H77cm
シルクスクリーンの版画
ご購入済
松本零士 プロフィール
1938年 | 福岡県久留米市に生まれる。
小学生のときからの漫画少年で、高井研一郎らと同人グループ「九州漫画研究会」を結成し、同人誌「九州漫画展」を主宰する。 松本が漫画家を志した理由は、彼が小学二、三年の頃にあった学級文庫である。 それは手塚治虫の漫画「新宝島」、「キングコング」、「火星博士」、「月世界紳士」であった。 |
1954年 | 福岡県立小倉南高等学校1年生のときの投稿作「蜜蜂の冒険」が「漫画少年」に掲載されデビューする。
そのときから中央でも既に知られる存在で、手塚治虫が逃亡先の九州で原稿を描くときに高井、松本ら九州漫画研究会に手伝いを頼んだというエピソードもある。 |
1957年 | 毎日新聞西部本社版で連載をするはずだったが、急に担当者が代わり、その話は反故にされたものの、月刊少女雑誌「少女」の連載が決定して上京する。
「少女」と「少女クラブ」に不定期で描く少女漫画家で出発し、少女漫画においてスランプに至った頃にはライターとしてタレントの取材などを手がける。 |
1960年 前後 | 少年誌、青年誌にも進出する。
デビュー時は「松本あきら」名義を使用しており「松本零士」を使うようになったのは1965年以降である。 少年時代から海野十三やH・G・ウェルズのSF小説を愛読して育ったため、SF漫画などを好んで描いていたが、不人気で打ち切りも多く、 出世作となったのは1971年から「週刊少年マガジン」に連載した「男おいどん」である。 |
1972年 | 「男おいどん」で講談社出版文化賞受賞する。
松本零士ならではの「四畳半もの」という独自のジャンルを開拓した。 |
1972年 | モンテカルロのアンドレ・ソーレ社刊、ジルベール・セスブロン「犬と狼の間」のための挿絵として9枚のリトグラフの版画を制作する。 |
1974年 | 秋から放送されたテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」には企画途中から参加する。
メカニックデザイナーとしての招聘だったが、かねてからアニメ作りを願望していた松本零士は全面的に携わった。 本放送時には低視聴率に終わったものの、再放送によって人気を得る。 |
1977年 | 劇場版「宇宙戦艦ヤマト」が公開され,社会現象を巻き起こす。
これがアニメブームのきっかけとなり、松本零士はアニメ制作会社の東映動画にイメージクリエイターとして起用され、テレビアニメ「惑星ロボ ダンガードA」、 「SF西遊記スタージンガー」にデザインを提供する。 また、自らも企画として温めていた「銀河鉄道999」、「宇宙海賊キャプテンハーロック」がヤマト人気によりアニメ化が決定され、 特に「銀河鉄道999」は大ヒットし、松本零士ブームが到来する。 |
1980年 代後半 | 宇宙開発事業団などさまざまな団体の役職に就任する。 |
2003年 | 画業50周年記念作品として「銀河鉄道999」から派生した「銀河鉄道物語」が発表された。 |
2006年 | 宝塚造形芸術大学のメディアコンテンツ学部の教授に就任する。 |
★コメント
松本零士さんがシルクスクリーンの版画で制作したインテリアの絵画「銀河鉄道999・時の輪の旅」は、2000年にリリースされたインテリアの絵画です。
松本零士さんの直筆サインの入った、ファンには堪らないインテリアの絵画です。
松本零士さんがシルクスクリーンの版画で制作したインテリアの絵画「銀河鉄道999・時の輪の旅」をご購入されたお客様は、アートギャラリーモトカワの以前からのお客様で、銀河鉄道999の大ファンでした。
何処かの展示会で、この絵をご覧になられたのですが、価格がすごく高かったので、その展示会では買わずに帰ってこられたそうです。
しばらく経ってどうしても諦めきれずにアートギャラリーモトカワにご来店されました。
なるべく安くというご希望だったので、一月ぐらい探してやっと見つかり納品させていただきました。
10万円以下で購入できたのでお客様にも、とても喜んでいただきました。
松本零士さんのインテリアの絵画をご購入いただき誠にありがとうございました。