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●画家名:田崎廣助
※プロフィールは下記をご覧下さい
●作品名:晩秋の妙高
●絵のサイズ:W62×H40cm
●額装サイズ:W86×H66cm
●版画の技法:リトグラフ
※詳細
●サイン:田崎廣助直筆鉛筆サインと落款
¥150,000-(税込価格)
●納期:12日
※備考
額装状況
田崎廣助直筆鉛筆サインと落款
限定枚数
額のアップ
田崎廣助 プロフィール
1898年 | 福岡県八女郡北山村に生まれる。 |
1911年 | 福岡県立八女中学に入学する。 |
1916年 | 福岡師範学校第二部に入学する。 |
1920年 | 画家を目指し上京する。
本郷駒本小学校の図画の教師となる。 |
1923年 | 関東大震災により、東京を引き払い京都に移る。
錦林小学校に勤めつつ、京都・聖護院の関西美術学校で油絵の絵画を学ぶ。 |
1924年 | 錦林小学校の同僚、黒田敏子と結婚。 |
1926年 | 第13回二科展で油絵の絵画「森の道」、「山百合」、「京都吉田山」の3点が初入選する。 |
1932年 | シベリア鉄道にて渡欧する。
パリのアトリエを拠点として、イタリア、スペインなどに写生旅行をする。 サロン・ドートンヌに「パリの裏町」など油絵の絵画3点を出品する。 サロン・ド・リーブルに油絵の絵画を出品する。 |
1935年 | 田崎廣助の滞欧作の油絵の絵画7点が二科展に特別陳列される。 |
1937年 | 練馬区豊玉にアトリエを構える。
第1回一水会展に油絵の絵画「丘の小松」、「小松と朝顔」、「早春風景」を出品し入選する。 |
1938年 | 一水会賞を受賞する。
翌年、一水会会員となる。 |
1941年 | 左分利賞を受賞する。 |
1949年 | 日展の審査員となる。 |
1958年 | 改組日展の評議員、審査員となる。
東京都美術館参与となる。 |
1961年 | 油絵の絵画「初夏の阿蘇山」ほかの連作に対し日本芸術院賞が授与される。 |
1967年 | 芸術院会員となる。
日展常任理事となる。 |
1968年 | 日本国政府より田崎廣助に対して勲三等瑞宝章が授与される。 |
1969年 | 改組日展の評議員、審査員となる。 |
1971年 | 文化庁買上作品選考委員を2ヶ年委嘱される。 |
1973年 | 東郷青児、田崎廣助らが中心となり「日伯現代美術展」を開催する。
ブラジル政府から田崎廣助に対してグラン・クルーズ賞、コメンダドール・オフィシアール賞(最高名誉文化賞)が授与される。 |
1975年 | 日本橋高島屋にて田崎廣助の初の回顧展「田崎廣助展」が開催される。
日本国政府より田崎廣助に対して文化勲章が授与される。 |
1984年 | 東京で歿。享年85歳。 |
★コメント
田崎廣助さんがリトグラフの版画で制作した絵「晩秋の妙高」は、1979年にリリースされたリトグラフの版画です。
「田崎廣助石版画・1979」と題し、「山岳の四季」というサブタイトルが付けられた4枚セットになった石版画集で、その中の一作です。
森版画工房が制作し、限定枚数50部で和紙に摺られています。
制作されてから30年以上の月日が経っていますが、一度も額装されたことがないバージンシートで、保存状態は完璧です。
このリトグラフの版画で描かれている妙高山(みょうこうさん)は、標高2,454mの新潟県を代表する山です。
馬蹄形をしたカルデラの外輪山と、中央火口丘となる最高峰の溶岩ドームから構成されている火山です。
別名、越後富士(えちごふじ)とも呼ばれています。
田崎廣助さんは、昭和41年から軽井沢の三笠にアトリエを持ち、妙高山を描いた油絵の絵画や版画など多数の作品を世に残しました。
晩秋の妙高山の雰囲気が伝わって来る素敵なリトグラフの版画です。
田崎廣助さんがリトグラフの版画で制作した絵「晩秋の妙高」をぜひご自宅のインテリアやコレクションの絵としてご購入ください。
またお近くにお越しの際にはお気軽に画廊へもお立ち寄りくださいませ。